ついに新聞の購読を止めるときがやってきた
実家で一人暮らしを続ける母親の認知症が進むにつれて、いつかこうせざるを得ないときが来るのはわかっていたのですが……。
長年定期購読をしていた新聞を止めることになりました。
悲しく、また苦渋の選択ではあるのです。
昨年、母親が介護認定を受けた時点では、まだ、母は新聞を眺めてはいました。さらにこちらから「今日は何日?」と尋ねると、新聞を探し、そしてその日付けを見て答えると言うことはできていたのです。
が、その後、新聞を読まずにため込むようになり、部屋には新聞が貯まってきます。どれが新しい新聞なのか、見分けが本人も付かなくなってきます。
テレビも見なくなってきたのでテレビ欄を見る必要もなく。
もはや、新聞は実家で本来の役目を全く果たせなくなってきました。
最後に一押ししてくださったのは、配達と集金に来て下さる販売店の方でした。
ここ数ヶ月集金のため実家に行くと、母親が明らかに財布の場所がわからず支払えなくなることが出てきていたようです。そんなあるとき、ちょうどヘルパーさんのいらっしゃるタイミングで集金に来られ、その一部始終をヘルパーさんも見ておられ、ケアマネさんに報告。そこから話が来ました。
「新聞も大量に読まれずに積み上げてありますし、そろそろ何らかのアクションが必要では?販売店の方も一度、息子さんとお話をしたいと言われていました」
との連絡があったのです。
事前に母に電話してみます。
「新聞読んでる?」
「新聞?うちは購読してないよ」
と、意識や記憶から消えていることがわかります。
「いやいや、ずっと長年、購読しているでしょう?」
「そうかいね?」
「読んでないでしょ。止める?」
「そりゃ、読んでないから、止めてくれるとありがたいわね」
との答えでした。
販売店に連絡してみると、担当の方は本当に心配そうにここ数ヶ月の集金での出来事を話して下さいました。さらに「僕たちの仕事は見守りも兼ねているので、一度息子さんと話をしておいた方がいいなと思っていたんです」
と、ありがたいお話でした。高齢者の多い、我が地元ならではのお話です。
銀行振り込みの形で購読を続けるという選択もありますが、こちらの事情を話し、結局、新聞の購読を止めることになりました。長年、届けていただいたお店への感謝の言葉とともに。
また、母は以前「明け方、新聞が届く音を聞くと、なんだか安心するのよ」と一人暮らしの寂しさでしょうか、話していたこともあります。そのことも販売店さんにお伝えしました。
恐縮しておられましたが……。
一つ、これでまた、ステップが進んだような、そんな寂しさを覚えます。
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